そして長かった24日。 | 新潟震災ボランティア日記*わたしにできる何かを見つけよう!

そして長かった24日。

さてさて、交通の寸断されている中、
どうやって私が新潟の地を踏んだか。

それは他ならぬ友の『遠隔操作』です。

もともと鉄道に詳しい友人が同行してくれるとのことだったのですが
やはり仕事の都合上難しいと言うことで
自分が行ったつもりで少しカンパするから、
あとは携帯で交通情報などを調べて送ってくれたのです。

持つべきものは、友ですね~。(T_T)

一方、東京駅で落ち合った友人(と、そのお母さん)とお茶をし
私はまるで出征前の兵隊のように緊張していました。
『『行く!』って言ったものの………どうなるんだろう!!

正直な話、旅行の最終日で財布も寒く(爆)
その友人のお母さんにカンパをいただいた上に
現金をお借りして、ようやく出発の手はずが整ったのです。
おそらく現地ではATMなど稼働していないでしょうから
そこまでに現金が必要だろう、と用意して下さったのです。
(本当に、ありがとうございます。m(_ _)m

と言うわけで、

東京~郡山
郡山~会津若松 
会津若松~新津 約2時間半
新津~新潟

と、福島経由で新潟駅を目指し、
新潟駅からはバスで長岡まで。
臨時運行バスが、なんとか動いていて
しかも新潟駅に着いたのが20:40。
最終バスは21:00。セーフ!!
運転手さんが『このような状況で、時間通りに到着しないと思われますが…』と前置き。
2時間かかって長岡に。

途中の新潟駅はいたって普通で、
本当にここで地震があったのかと思うくらいでした。
でも、長岡駅に着いた時に、
駅にうっすらと明かりがついているのに、
『立ち入り禁止』の文字。
傾いた電柱に、真っ暗な街。(一部は電気がついていましたが)

本当の『震災にっき』はここから。
でも、その道中でもいっぱいドラマがありました。
つづきはのちほど。(11/26記)